日測技研のリクルート特設サイトRECRUITスペシャル対談

日測技研の“生き字引”ともいえる上司と、
入社間もない若手が、
本音で語る測量談義!

日測技研の設立とほぼ同時に、測量の専門学校卒で入社し37年。現在は地理情報を扱う部署のリーダーを務める澤木秀也取締役と、2019年に入社し現在、急成長を遂げている菅原亮太さん。現場の合間に、顔を合わせた“上司”と“部下”が、測量という仕事のこと、会社や仲間のこと、そしてこれからのことなどを話しています。ちょっと、耳を傾けてみてください。

上司

部下

取締役 
空間情報事業部
グループリーダー
澤木 秀也
測量の専門学校を経て、日測技研が発足した翌年の1983年に入社。第一線で現場を取りまとめつつ、豊富な業務経験をもとに、後進の指導にも力を入れている。
空間情報事業部菅原 亮太
技術職にあこがれ、たまたま紹介されたのが測量の仕事。ゼロからの世界に飛び込み、奮闘中。専門学校でも学びながら、着実に成長を続けている。

SAWAKIこの会社に入社した
きっかけは?

SUGAWARA社内の雰囲気の良さが
決め手でした。

澤木
河川の堤防を調べる測量に、一緒に行ったのが最初だったね。現場で教えた機械の使い方をすぐに覚えて、一度覚えると忘れなかったのには驚きましたよ。
菅原
真夏の時期で、とても暑かったことが印象に残っています。そこを1日何キロも歩いて測量したのですが、言われたままに動いていただけで、何をしていたのか実は、ほとんどわかっていませんでした。
澤木
最初は、それでいいんですよ。まずは、指示された通りに動くことが第一歩。その繰り返しがベースにあって、初めて仕事を覚えていけるからです。その点、菅原さんは本当に素直に、忠実に仕事をしてくれたことに感心しました。
菅原
先輩たちは、私がまだ何もできないことを前提に、できそうなことをから少しずつ、指示をしてくれたのでで、ついていくことができたのだと思います。無理のないステップで、教えていただけました。
澤木
とはいえ、場所によっては日陰もあまりない炎天下のなか、よく頑張ってきたと思いますよ。
菅原
この服装だと今日は暑いから、替えた方がいいとか、作業中も「水分は摂っている?」などと、常に気をかけ、フォローしていただいたお陰です。
澤木
自分たちが教えてもらっていた時のことを思い出し、どのように指導された時が分かりやすかったか、逆にピンこなかったなどを考えながら、体験を通して覚えられるように、先輩も工夫しているんです(笑)。
菅原
もう、感謝しかありません(笑)。

SAWAKI専門学校での学びは
どうですか?

SUGAWARA授業+実践で頭に入りやすいですね。

澤木
菅原さんは、土木など関連分野を先行していないので、入社後は専門学校に行っていますが、学校はどうですか?
菅原
最初に澤木さんと出かけた堤防測量で、自分が何をやっていたのか、学校の授業を通して理解できました。作業自体は一度、実践していたので、スッと頭に入ってきたんです。
澤木
そうなっていけば、しっかりと身につきますよ。菅原さんは、堤防測量以外に、電子基準点の点検にも行っていますよね。
菅原
道南の基準点を点検しました。位置がずれていないか、木が生い茂っていないかなどを確認する作業でした。
澤木
電子基準点というのは、GPSを観測するために国土地理院が全国設置しているもので、電波を発して位置を示すものです。木に覆われていると電波が遮られるので、伐採もします。
菅原
測量の仕事には、こんな業務もあるんだ、というのが私には驚きでした。扱う範囲がとても広いことを実感していますし、奥の深い世界です。まだまだ、自分にとって新しいことがある。そう思うと、とても楽しみです。
澤木
それは、実際に測量の仕事に就いたからこそ、感じられることですね。じっくり、知識を深めていってください。

SAWAKI時代に合わせて
会社を変える力になって欲しい。

SUGAWARA新しい情報を積極的に、
吸収していきたいです。

菅原
ところで澤木さんは、どうして測量の仕事をしようと思ったのですか?
澤木
大学に進むつもりはなくて、何か技術を身につけようと考えて入ったのが測量の専門学校。今思えば、こんな仕事があるんだ、という程度のきっかけだったなぁ。
菅原
そして卒業後に、日測技研に入社されたんですね。
澤木
せっかく学んだのだから、測量の仕事をやってみようと(笑)。それから、早いもので37年が経ちました。自分にとって居心地のいい会社だったのだと、改めて思いますよ。
菅原
経験した現場は数えきれないと思いますが、思い出に残っている仕事を聞かせてください。
澤木
開発途上国などの社会基盤整備のための国際協力を行っている、外務省所管の団体の仕事で、アフリカのタンザニアと東南アジアのラオスに派遣されたのが、今でも強烈な印象として残っています。航空写真から地図をつくるという仕事でした。
菅原
難しい業務だったのでしょうか?
澤木
業務自体は、日本国内でやっているのと同じだし、時間的にも余裕があったので、むしろ容易な仕事だったけれど、タンザニアに派遣された当時は中東で紛争が起きていたのに加えて、水は飲めないし、商店もないので食糧をなかなか調達できなくて大変。でも、今思えば楽しかったですね。
菅原
私はバックパッカーに憧れていたので、何だかとても羨ましいです! 北海道内でも、仕事で出張して初めての風景に出会ったり、土地のものを食べたりするのが、とても楽しく感じています。
澤木
その感覚は、測量の仕事をする上で、とてもプラスだと思いますよ。今はまだ、学ぶことの方が多い時期ですが、仕事を楽しみながら、自分なりの感覚で新しい発見をし、会社そのものも時代に合わせて変えていく力になって欲しいと願っています。
菅原
積極的に、新しい情報を取り入れる努力をしながら、一人前の技術者になりたいと思います。
澤木
期待しています!